表現社Top / 西島和紙 H11.03.21更新
西島の和紙の歴史

 西島の和紙は、1559年(元亀2年(辛未))に望月清兵衛という人が、伊豆の修善寺より紙漉きの技術を学んで帰ったのが始まりで、当時、武田信玄公より、「西未」紙の朱印を賜り、運上紙として生産されました。主原料は「楮(こうぞ)」でした。
 時代が変わり、甲斐の国が徳川の直轄領になっても、ますます盛んに生産されました。主原料は「三椏(みつまた)」で、障子紙などが生産されました。
 近代になると、洋紙におされ衰退しましたが、大戦後には、紙質の工夫がなされて書道用紙の生産が主となり、現在まで、漉き方や原料に工夫をこらし、墨色、にじみ、筆ざわりにすぐれた、半紙や画仙紙の生産が、十数軒の手漉き和紙工房により続けられています。
西島の和紙の特徴

 西島で主として生産される和紙は、書道用に優れたにじみ、肌合いをもつ、純白の紙です。全国に和紙の産地はありますが、ほぼ書道専用に十数軒の工房が手漉きの生産を続けているのは西島の特徴でしょう。
 紙漉きの手法も昭和40年代に開発された原料循環式の漉法(開発者の名前から成高「せいこう」式と呼ばれます)により生産効率があがり、書家の先生方のご要望にあわせた品質と価格で出荷されましたが(オイルショック当時は中国産の輸入宣紙が高騰しました)、現在は為替レートの変化や輸入コストも下がった関係で輸入宣紙の値段も割安となり、西島和紙の生産現場では経営的に厳しいのが実状です。しかし手漉和紙工業組合の青年部により、伝統を踏まえての、新しい和紙作りが試みられています。
 画仙紙(がせんし)とは、大判の書道用紙のことで、中国では「宣紙」と呼ばれます。これは中国の宣城(安徽省)という場所で生産された紙が評判が高かったためです。また「画仙」とは墨絵の上手な人の意味ですが、いつからか日本では中国の紙が「本画宣紙」、国内の紙が「和画仙紙(ほかに雅仙、画箋などと書く場合もある)」と呼ばれるようになりました。

書道紙の寸法

西島手漉き和紙の製造工程

なかとみ和紙の里平成10年5月オープン。

紙漉きの里

など、順にご紹介してまいります。
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